リベラルアーツ

父親であること

まいど、パパ寿郎です。

今日は父親としての自分なりに在りたい姿・在り方について、考えている事を書いてみます。

実はこの投稿は、昨年家を買って単身赴任になった時に書こうとして筆が止まってしまったタイトルなんですが、先日娘が二日連続でオイタした、と嫁から相談があり、娘とTV電話でゆっくり話す機会があったので、改めて筆をとった次第です。

良い父親とは?

これは千差万別人の数だけ答えはあると思いますが、主に視点としては以下4つでしょうか。

  1. 子供から見た父親
  2. 妻から見た父親
  3. 社会から見た父親
  4. 自分自身でありたい父親

①~③は周囲の評価であり、特に良い父親と言われるのはこの辺りの評価でしょう。

なので、ここでは④自分自身でありたい父親像とは何か、にフォーカスします。

一番の支援者であること

一言で言うと、子供にとっての「一番の支援者(=サポーター)」でありたいと考えています。物理的に距離が離れていることもあり、基本的な生活・教育面は妻に任せている(任せられる、という信頼感が前提です)中で、どう子供の成長に関わっていけるか、が重要です。

僕自身は子供のころから自己肯定感は低い人間でしたし、何となく初めから人生諦めてるところがある冷めた人間でした(笑)。世間が決めた一般的なレールをただ走るだけで、やりたいこと・自分の特徴もよく分からないまま大人になってしまった感があり、そのせいで今苦労していることから、子供にはそうなって欲しくない、と切に願う訳です。やりたいこと、やってみたいこと、そういう気持ちを大事にして欲しいんですね。

とはいえ、何でも言うことを聞いたり、とわがままに育てるつもりはありません。あくまで僕から子供への問いかけの第一歩は「それは本人がやりたいことなのか?」です。

また、我が家の役割分担としては基本的に、妻が子供に怒り僕が子供側に立つ(僕は怒らない)、ということになっています。一件楽に見えますがそうでもありませんよ。下手すると僕まで妻の怒りを買う訳ですから。笑

もちろんやったらあかんことはやったらだめですが、それも含めて分からないのが子供である、というスタンスで、やってみてダメだったら「何があかんかったか、次どうすれば良いか」それを一緒に話して、自分で考えて落とし込める人間になって欲しいと思います。

自分で考える癖、力をつけて、やりたいことに夢中になる。 こんなことが自然に出来る子供になってくれるように支援をしたいと考えています。

以前紹介した本にも、そんなことが書いてあります。

子供が伸ばすべき力、それは「自律」「尊重」それから「創造」である、と。

最新の脳研究で分かった!自律する子の育て方 工藤勇一、青砥瑞人 SB新書

改めてですが、これ本当に良書です。子を持つ親としては必読ですね。僕はとにかく子供が「自律」出来るように支援したいわけです。

魚ではなく魚の取り方

「一番の支援者であること」を実践する中で、強く意識しているのが「魚ではなく魚の取り方」を伝える、ということです。中々難しいですが、答えをすぐに教えるのではなく一緒にどうすれば上手く行くか考える。

簡単な例で言えば、これから人口減少の中、厳しい世の中を生きていく子供たちに、ただお金を残すのではなく株式やゴールド等、考えるきっかけを与えるものを残していく。これはもう少し大きくなってから子供に伝えて行きたいと思いますが、これまでのリベ筋を通じて、とても大事にしている考え方です。

これから200年は風の時代という時代が来ます。答えがない世界で自分で考え行動をすることが求められる世界が本格化していくわけです。それを全て信じている訳ではありませんが、そのような風潮は日々感じます。

教育改革実践家の藤原さんはこう言います。「これからはジグソーパズル型ではなくレゴ型の教育が求められる」。さすが元リクルートのスーパースターですね、ワードセンスがさすが!

僕たち自身がそのような教育は受けていないですが、だからといって出来ない、やらない、ということではなく、答えがないことを前提にモノゴトを考えていくスキル、それを楽しめること。これは本当に教えるのではなく子供と一緒になって親も考え続けるということでしょうね。どうしたら魚が取れるのか、そういうことを一緒に考えていきたいもんです。

ダイアローグ

そしてもう一つ。ダイアローグ。対話という意味です。押し付けではなく対話。これも今後答えのない世の中を生きていく上で重要な認識、捉え方です。議論とは違います。Goo辞書的には

議論:互いの意見を述べて論じ合うこと。

対話:向かい合って話し合うこと。

ちょっとよく分からないですね。もう少しかみ砕くと、

議論:意思決定など結論に導くための情報を出し合い、白黒つけたり、意見を戦わせたり、どの主張が正しいかを決めたりするもの。

対話:お互いの前提や意見の”違い”を分かり合おうとすることで、テーマについて探求したり気づいたりするもの。

これだと結構しっくりきますかね。仕事だと議論することが多いですが、子供とは対話を通じて納得感を持ってもらいたいと思います。これは、先ほどの「尊重」にも繋がります。相手との違いを理解して初めて尊重が出来るようになるからです。相手と違っていいんだ、相手は何が違うんだろう、と考えること。日本にいると考えるケースは比較的少ないですが、世界との距離が近い今、「多様性」の中に身を置くことになるので、違いを知ろうとする姿勢は日本社会においても益々重要になっていきます。

少し話がそれましたが、子供はうまく自分の気持ちや考えを表現出来ないもんですから、対話するのも時間はかかります。先日もオイタの件で長女と対話しましたが、結構時間はかかりました。妻からは和尚、とイジられましたが、後で妻に聞いたところによると娘はスッキリした表情をしていた。とのことだったのでとても嬉しかったです。

尚、今は物理的に離れて暮らしているので、まずは妻から良く話を聞いてある程度の話の大筋を聞いた上で、先入観を出来るだけ取っ払って対話するようにしています。

まとめ

今日は、この数年で朧気ながら見えて来た、僕なりの父親像的なもの共有しました。親はこうあるべき、とか教育論とかそんな大層なものではないし、甘いことばかり書いてあるかもしれませんが、大事にしていきたい心構えでもあると思うので、自分の襟を正す意味でも一度整理しておきたいと考え、ブログに書いてみました。

人それぞれの考え方で良いと思います。

この記事を読んで、少しでも参考になれば嬉しいです。

ほなまた。