まいど、パパ寿郎です。
中国に来る際、何か中国の格言的なもので使えるものがないか、と探していたときに見つけた言葉です。
中国生活が半年以上たち、仕事も本格的に開発業務を実行するステージに、人流もコロナ前に戻り、会食も増えて来た為、自分への戒めも踏まえ意味合いと自分なりの解釈を共有したいと思います。
菜根譚とは
これは世界最高の処世術と言われている「菜根譚」(後集一二三)という中国古典に出てくる言葉です。同書は明王朝時代にまとめられた書籍です。約400年前のものですね。作者は江応明(こうおうめい)、字は自誠という方です。
パパ寿郎自身、全てを読んだことはありませんが、360の短いコメントから構成されているものです。よって自分が気になるところから摘み読み可能ですし、コメントが短いので理解しやすいのかな、と思います。何れ読んでみたいと思っています。
花看半開 酒飲微酔
さて、本題ですがこの言葉、全体はこのような文章です。
花は半開を看、酒は微酔に飲む。この中に大いに佳趣あり。若し爛漫酕醄(らんまんもうとう)に至らば、便ち悪境を成す。盈満(えいまん)を履む者は、よろしくこれを思うべし。
意味は
花を見るなら五分咲き、酒を飲むならほろ酔いかげん。このあたりに最高の趣がある。満開の花を見たり、酔いつぶれるまで飲んだりしたのでは、まったく興醒めだ。満ち足りた境遇にある人は、このことをよく考えてほしい。
となります。
特にこの文章では、「盈満(えいまん)を履む者は、よろしくこれを思うべし。」を一番言いたいのです。そのために花と酒の例を出しながら、満ち足りた状態とはつまらない状態、と言っている訳です。
満ち足りた状態は実は幸せではない、少し満ち足りていない・窮屈な状態がはるかに幸せということを説いています。深いですね。
中国の方ってとにかく欲を満たすことを優先する民族(失礼ですが)と思っていましたが、このような言葉があることにちょっと驚いた記憶があります。それ自身が僕が思い込みをしていたわけですね。
この内容は全く共感するものですが、そこに僕なりの解釈を入れています。
自分なりの解釈
酒席
こちらは、ある程度そのままの意味を受け入れています。日本だとべろべろまで飲むことは多く、寧ろそれを楽しむ、本音が出た、ということで酒席だから、と大目に見てもらえることがあります。一方で、中国人の社会はそうではないんです。ここが大事なところですね。泥酔するとどのようにみられるか。
1.そのような無茶な飲み方は、健康を害する恐れがある。(中国人の健康思想が出ています)
2.あの人はまともではない、と周囲の信頼を失う
3.そもそも無用心
これは、仕事をしていく上でとても注意をしておく必要がありますね。健康と信頼は仕事のベースとして重要ですし、海外ですから用心は必要です。よって、中国に来て仕事をしている身としては、この言葉はお守りのような言葉な訳です。
酒席で乾杯が続いたり、白酒が続いてきたら、トイレに行った際この言葉を口ずさむことで、一旦我に返るようにしています。
仕事
花は半開を看、というところは仕事に対してこのように思うようにしています。
市場が大きくなった(満開)ところにビジネスチャンスはない。伸びそうな芽が出てきそう(5分咲き)な市場を見つけて、そこに注力(楽しむ)する。その市場が満開になったら、また芽を探して大きくなる前に注力する。そこに大きなビジネスチャンス(最高の趣)がある。
会社では、とかく大きくなった市場に対して「どう攻めるか、何が出来るか」という指示が来る風潮があるので、開発業務が主たる仕事であるパパ寿郎にとっては、この文章を読んだ時にそういう解釈になりました。全く江自誠さんの意味とは異なるかもしれませんが。
ただ、こうすることで言葉が自分ごとになるので、これでいいと思っています。
まとめ
今日はパパ寿郎が中国赴任時に現地の格言を一つ覚えようと思って大事にしてきた言葉、赴任半年も越え、改めて自分に言い聞かせている言葉、「花看半開 酒飲微酔」 を紹介しました。
満ち足りた状態は実は幸せではない、少し満ち足りていない・窮屈な状態がはるかに幸せということを説いています。深いですね。
加えて、自分が仕事をする上での解釈についても共有してみました。作者の意図とあっているか分かりませんが、こうすることでこの言葉が自分ごとになるので、忘れにくくて良いと思ってます。
酒はほどほどに。
この記事を読んで、少しでも参考になれば嬉しいです。
ほなまた。