リベラルアーツ

知りたい気持ちを醸成させる

まいど、パパ寿郎です。

今日は先日書いた「思考の整理学」から得た学びの続きです。そしてここも内容としてはたった6ページです。

この章で得られる学び

この6ページで父親リテラシー筋強化になった学びは以下3点です。

  1. 学校がグライダー訓練所になる事はある意味やむを得ないと理解すること
  2. 教えない事で、知りたいという気持ちを醸成すること
  3. 教える方が積極すぎてはいけないこと

それぞれ内容を掘り下げたいと思います。

学校はグライダー訓練所

まずは、学校がグライダー訓練所である理由から紹介します。

小学校に入ったばかりの勉強がよく分かっていない子供に勉強しなさいと言ってもそもそもどうすれば良いか分からないから先生に言われたように勉強する=方法論を学ぶために引っ張ってもらう必要がある訳です。よって学校という制度上スタートはこの方法でスタートするしかありませんし、それ自体は悪い事ではありません。問題はこれが、小学校(お受験の子はもっと前から)から大学卒業までの約16年間継続していく、という点です。勉強を始めてから社会に出るまで、このやり方が続けば、いくら言葉では「世の中は答えのない世界だ。」と言っても学んでいる事は「答えがある世界」ですから、答えのない世界に出た時にうまく飛び立てないのは、ある種やむを得ない、という事です。このシステムを変える事は出来ないですが、この矛盾を我々親がしっかり理解し、子供に接する事こそが、子供が自分で飛び立てるようになる最大のサポートとなると言えます。

僕の一番上の娘は小学校1年生ですが、今は知識を吸収する事自体が目的で良いと思います。知らない事を知る事、最低限の知識を覚えるがないと始まらないからです。だから、出来なかった事が出来るようになった事自体を褒めるようにして、知識を得る事が楽しい、と思ってもらえるよう意識しています。

知りたい気持ちを醸成する

次に、知りたい気持ちを醸成させるてグライダーを飛行機に転換させる知恵が昔はあった、と学校教育以前の昔の塾や道場の教え方が紹介されています。それを本来の学習として、現在の学校教育と対比させると、以下のようなサイクルが出来上がります。

本来の学習

知りたい欲求があり入門 → 知りたくても教えてもらえない、寧ろ関係ないことをやらされる → 学習意欲が高まる → それでも少ししか教えてくれない → 聞く事を諦めて盗もうとする → 体で覚える → 自分で新しい知識、情報を習得する力を得る

結果、自ら能動的に得た知識・経験が得られる という事になる。

現在の学校教育

カリキュラムに沿って教える・教えられるの関係 → 知識を詰め込む → 自分の意志・欲求に関わらず卒業まで続く

結果、人から受動的に与えられた知識・経験となる。

今はインターネットだけでなく、Youtube等で簡単に情報を仕入れる事が出来、それが彼女たちには当たり前の為、直ぐに正解を求めてきます。全く教えない、という訳にもいかないので、間違っている所を直接指摘せずに、ヒントを出して自分で答えに気づくように仕向けています。家には漢字の表や九九や日本地図を貼ってあり、どこを見れば答えにたどり着けるか、等自分が答えを見つけた、となるようにしています。しかし、下手をするとすぐに考える事を放棄してしまうので、教えすぎず、でも興味を削がないように苦心して勉強や日々の会話に意識を傾けています。また、今はその程度ですが、今後はもっと高度なコミュニケーションに発展していく必要があるので、常に学びと問いを繰り返す訓練をしておかなければならない、という危機感も感じます。とにかく、家では教える・教えられるの関係だけではなく、「知りたい欲求」、と「諦めずに考える癖」を大事に育てたいと思います。

教える方が積極すぎる

この考え方は上記2点とオーバーラップする部分もありますが、子供への教育だけでなく教える立場、として非常に参考になりました。教える側が積極的すぎると教えらえる側は依存心が育つ事、そして皮肉なのは教える側が有能であればあるほど学習者は受身になる。という事です。受験を突破する為に、塾や予備校に通っていましたが、正にこれらの先生は有能な教える集団です。笑

また、ここで非常に重要な事はもちろん詰め込みや教える側が積極的な事自体ではありません。子供の知りたいという意欲を削ぐ詰め込み、積極性が悪いという指摘です。知りたい欲求が醸成される前にたくさん教えてしまう事です。

父親として、可愛い子供に質問されたら、聞かれてない事まで0~100余すことなく教えてあげたい、というのが人情だとは思いますが、そこにブレーキをかける学びです。

本自体は学校教育に関しての記述ですが、この学びは子供としっかりとコミュニケーションをする、という事だと父親目線で理解しました。知りたいことが10あるとしたら、2か3を教え残りを自分で考えてもらって、また聞かせてもらう、等と仕掛けをして先に教えすぎない、知りたいことを一緒に考える、子供がどのように思っているか・考えているか、を聞く。分からないなら答えではなく、ヒントを出す。こういった事を日々の会話で実践していく事が必要です。

子供の知りたい欲求を満たし、かつ自らが学ぶ癖をつけるために、読書が良いと言われています。その為に、色んなジャンルの本を本棚においておきましょう、と。今までもやってきたつもりですが、この本を読んで改めて子供向けの本を増やして行こうと思います。

モンテッソーリーという欧米の教育方針が日本でも盛んに取り入れられています。それは今の教育体制に疑問を持っている事への表れだと思いますが、既に40年前に同じような事が言われていたんですね。

まとめ

今日は学校教育を改めて理解した上で、子供に飛行機人間としての道を歩んでもらうための自分なりの学びを紹介しました。改めて書くと以下3点です。

  1. 学校がグライダー訓練所になる事はある意味やむを得ないと理解すること
  2. 教えない事で、知りたいという気持ちを醸成すること
  3. 教える方が積極すぎてはいけないこと

子供の興味はある意味無限大であり、その興味を自分なりに考えて知識として習得していく事を学校教育に全て求めてはいけません。能動的に学ぶ思考回路を身に着けた人間に成長(もちろん自分自身も!)してもらうために実に興味深い6ページでした。

この記事を読んで、少しでも参考になれば嬉しいです。

ほなまた。