まいど、パパ寿郎です。
「内的生活は外的生活によってのみ刺激される」、という言葉を目にしたのですが、本当にそうだな、と最近実感したことがあったので、共有します。
走行距離の変化
僕は毎週活動記録として、一週間どれくらい歩数や距離を走った(歩いた)かを共有しています。
これは基本的に一人の活動なワケで、よく 前より走れる距離が短くなった、とか体力が全然ついてこない、等と書いてきました。
先日、連帯感について投稿しましたが、そこで記載したサークルはランニングサークルなんですが、国慶節中に漸く参加が出来て一緒に走ってみました。
そしたら、何といつもの倍くらいは走れるではありませんか。
会話しながら走るペースなので速いわけではありませんが、普段一人でランニングしているのと同じくらいのペースで、です。
なんでかなーと考えてみると、以下2点に集約されているかな、と感じました。
- 一緒に走っている人に負けたくない
- 一人の時より時間が短く感じる
一緒に走っている人に負けたくない
負けたくない、というと競争感丸出しですが、余りにもレベルが低いと周りにも気を使わせてしまう、という感覚の方が近いかもしれませんね。
自分より走れる人と一緒に走ることで、少し無理してでもついて行こう、という気持ちになるのは事実であり、結果それが頑張る理由になっているわけです。結局、昨日の自分との勝負ではなく、誰かと比べることで自分を計っているという点で本質が変わっておらず、少し恥ずかしいですが、そんな自分に改めて気づくこともできました。笑
なので、普段なら「もう歩くか。」と思うところで、走り続けられるわけです。どんだけ自分に弱いねん、とツッコんだのは言うまでもありません。
一人の時より時間が短く感じる
元々ただ走るのは「何が楽しいの?」という人間なので、普段は音楽や動画を聴きながら走っている訳ですが、やっぱりそれに飽きているんやな、と実感しました。まあ、同じ人とずっと話しながら走っていると同じように飽きるんでしょうが、人も結構な数が居るので「飽き」という点では暫くは大丈夫そうです。笑
そして、サークルの人も、元々一人で走っていたけど人と走ると楽しいよね、という人が多かったです。一人でやっていたから、よりその良さが分かる、というか。
もちろんガチで走ったら喋る余裕はありませんが、一人だと中々そのように走ることはないので、人と一緒だとそういった普段やらないこともやってみる、というのも楽しめそうです。
自分より少し得意な人がいる環境に身を置く
ということで、一人でやってきた活動(内的生活)があって、そこに人と一緒に行う活動(外的生活)によって刺激を受け、結果内的生活の質・レベルがあがる。という、正のスパイラル効果が得られる感覚を強く受けました。
実際、その後も一人で走っていたときに、「前はこれくらい走れたんやから、もう少し頑張ろう」、と自分自身でも思えるようになったんですね。
些細なことですが、自分の中では結構嬉しい学びでした。
この学びは、以下順番で行っていた影響が大きいです。
- やりたいことがあって、
- 一人で色々やってみて、
- その後で自分より得意な人と一緒にやってみる(教えてもらう)。
かな、と。やりたいことがあって、自分一人の試行錯誤をしてから、人と一緒にやる。何なら、得意な人からアドバイスももらえる。最初から人と一緒ありきだと、得られる学びは小さいのではないか、と思います。改めて、やりたいことがスタートだなぁ、と実感しました。
一緒にやる人は、自分より得意な人がポイントですが、もう少し具体的に言うと「自分よりは得意なんやけど、手を伸ばせば届きそうな人」がベストだと思います。
このサークルにはセミプロみたいな人も多くいて、そんな人と比べると頑張ろうという意欲自体が削がれてしまうので。笑
この手の話は良く色んなところで耳や目にしますが、やっぱり体験が重要ですね。頭で理解しているだけではやっぱりちょっと弱いですね。
まとめ
今日は、「内的生活は外的生活によってのみ刺激される」という言葉を目にした時に、最近感じた事をうまく表現しているな、と思い実体験を添えて共有してみました。
内だけでもダメ、外だけでもダメで、1.やりたいことがあって、2.一人(内)で色々試してみて、3.人(外)から刺激をもらって、4.一人(内)の生活水準が上がっていく。こんなイメージが理想ではないでしょうか。今回はアクティビティの話でしたが、他にも応用できる思考・行動の順番かな、と思います。
この記事を読んで、少しでも参考になれば嬉しいです。
ほなまた。